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金富小学校での音感教育

 

 東京音楽学校(いまの芸大)を卒後の佐々木基之氏は、東京の小学校(文京区金富小学校)に奉職した。若い佐々木氏の心のなかには、当時の音楽教育にたいして、決して満たされていたわけではない。いや、むしろ、何かが、根本的ななにかに欠けているとする、激しい不満があったものだ。

 音楽教育に欠けているもの、それは何か。それを満すには方法がいる。それを果すにはどうすれはよいか。佐々木氏の苦悩は、周囲からは、変わった目でみられたものだという。何もしなくてもすむのが、教師という職業といったら怒られるかもしれないが、ささやかなわたしの経験からも、何人かの、毒にも薬にもならぬ連中がいるものだということは否定できないようだ。また逆に、やりだせば限りないひろがりをもつ、貴い職業だということも知っている。佐々木氏の態度が典型的な教師のものでなかったのかもしれない。とにかく、佐々木氏の頭の中は、この何かを求めることで、いっばいだったのだ。

 そんなとき、音楽学校の同輩で友人でもあった園田清秀氏(ピアノの高弘氏の父君)の宅を訪ねたことがあった。たまたま、そのレッスンの場にいあわすことになった佐々木氏はレッスンをきいているうち、ハッとあるひらめきを感じた。いままでの苦悩が、いちどに発散するような気持だった。そしてそのあとに、それを方法として、一刻もはやく実践しなければいられない気持にかられたのだ。

 こうして、佐々木氏の音感教育は、佐々木氏の心のなかに、はっきりと形をととのえてあらわれたのだ。その一つの方法として、分離唱、三声唱、分割唱がある。

 分割唱の解明がおくれたが、これは分離唱の変型といったもので、TSDの和音を、ききわけるところから出発し、つぎに、それぞれの三和音を分散的に、CEGCFAHDG、というようにスタカートで反復してうたう。この効果は、和音感を学ぶと同時に、リズムの訓練となる。

前記の金富小学校で、佐々木氏がそれを実地で試みられたことはいうまでもない。そしてその効果に、佐々木氏自身が、目をみはったことでもあった。やがて、それは、全国の小学校音楽教育の研究発表会で公開されることになった。 

佐々木基之氏の音感教育の話をききに、全国から3500名の先生たちが集まった。 

 佐々木基之氏は、合唱のあり方について、純正なハーモニーが人間の自然感覚であるはずなのに、パート練習やコールユープンゲンでドレミの練習を平均律のピアノをたたいてやるというのは、その自然感覚に逆行するものだ、という。そして、いかなる単音も、単音として孤立させず、和音のなかの音として感じて歌唱すれば、おのずと調和への意識が働き、音色は統一され、ハーモニーを作ればその純正なひびきは、うたう人の心に音楽的感動を引きださずにはおれないものだ、ともいう。その感動のあるところに、その曲のテンポも自然発生的にきまってくるものでもある。

 (佐々木氏のお宅に集まる十名の″みちのく″のコーラスは、雑な大合唱団よりは遠かに感動的であった。それは、ひとりのこらずみごとにハーモニーのなかにあり、そのハーモニーに、彼ら自身が感興を生み、自然と、強弱テンポが生じ、聞く者に伝わってくるのだった。技巧や虚こうのないホンモノの心にうたれてしまうのだ)

 また、合唱団のあり方について。-合唱のねうちは、大衆のものであるということ。ちょうど、誰でもが草野球を楽しむように、合唱の姿もそうあるべきだ。このあり方をレンゲ草にたとえるなら、コンクールの演奏は造花である。これを刺激にしなけれは合唱が育たないというのは、合唱の楽しみの本来のものや根本のことを忘れているか、さもなければ気づかないかのどちらかだ、という。           すずき’s Blog (http://pub.ne.jp/susuki/) から引用。